弁護士コラム~家事事件の現場から~家庭に関する法律相談を担当した弁護士がリレーでコラムを執筆しています。

解決するのを待っていたかのように

2009年10月01日 相続

 

A子さんは、当時、75歳。長年の間、腎臓病を患い入退院を繰り返していた。
ちょうど1年前、最愛の夫に先立たれた。
突然の別れだった。
夫は持病を持つA子さんを献身的に看病してくれていたので、その看病疲れが夫の寿命を縮めたのではないかとA子さんは今も悔やむ。

A子さん夫婦には子どもはいない。
夫には、年の離れた弟と妹がいる。
今はこの2人も立派な家庭をもち、経済的にも何不自由ない生活を送っている。
A子さんが嫁いだ当時、夫の兄弟は、まだ幼かったので、幼かった兄弟はA子さんのことを実の姉のように慕ってくれ、A子さんもこれに応えてきた。
A子さんにとって夫の兄弟は実の兄弟以上の存在だった。

夫は、自宅マンションとゴルフ会員権一口それに僅かの預貯金を遺してくれた。しかし、突然の死だったので遺言書はなかった。
A子さんは、夫の兄弟とあらたまった形で遺産を分ける話し合いをもったことはなく、A子さんからの気持ちでゴルフ会員権を弟名義にしてあげた。
夫の兄弟もこの名義書換を快く受け入れ、預貯金の名義書換に異論を挟むことはなかった。

夫が亡くなって4か月が経とうとしていた。
夫の弟がA子さん宅を訪れ、自宅マンションをA子さんと夫の2人の兄弟の名義に法定相続分での登記をしたことを伝えてきた。

弟は、A子さんに「ここは義姉さんの家だからずっと住んでていいんだよ。
でも義姉さんにもしものことがあったら、兄貴が僕らに残してくれた相続分をハッキリさせておきたいので、念のため登記をしておいたんだ。
気を悪くしないでおくれ。兄貴が死んでも義姉さんは僕らにとって大事な義姉さんなんだから何でも言っておくれ。今までと何も変わりないよ。」ということだった。
A子さんの内心には複雑な思いがめぐり回った。

夫の2人の兄弟がこのような行動に出たのは次のような事情があったからのようである。
腎臓病を患うA子さんは、夫を亡くした後、日頃の面倒を実の弟にみてもらうようになっていた。
A子さんが亡くなった場合、A子さんの遺産はA子さんの実の兄弟の方に行く。
そうなったら、兄貴の残したマンションもA子さんの実の兄弟のものになってしまう可能性がある。
夫の兄弟はこのようなことを心配して登記したようであった。
なお、A子さんには、この実弟の他、3人の異母兄弟がおり、うち2人は既に亡くなっている。亡くなった2人の兄弟にはそれぞれ4人の子供がおり、うち何人かは会ったこともなく、住んでいる場所さえ知らない。
もし、A子さんが夫と同じように遺言書を残さないまま亡くなったら、相続権は亡くなった兄弟の子供達にもあるので、A子さんの相続問題はやっかいなことになる。

A子さんは、自分の病状からそう長くはないことを悟っていた。
今後、夫の兄弟に面倒を見てもらうか、それとも実の弟に面倒を見て貰うのか。
夫は義弟が管理している実家の墓に眠っている。
夫の兄弟との仲が決定的なものになれば、自分は夫と同じ墓に入れないかもしれない。
A子さんは悩んだ末、実の弟の世話になることにした。

夫の兄弟との付き合いは表面的には今までと変わりなかった。

A子さんは、面倒をみてくれる実の弟と相談した結果、甲弁護士に依頼して自宅マンションのA子さんの持分を含む一切の財産を実の弟に相続させる旨の公正証書遺言を作成した。
その後も、A子さんの病状は、はかばかしくなく、このままの病状が続くと蓄えも底をつき、医療費等を捻出するため自宅マンションを処分する必要も出てくる。
そこで、A子さんの実弟は、医療費等の捻出のため、いつでも速やかに売却できるようA子さんの夫の兄弟から自宅マンションの持分を実弟が買い取る交渉を依頼したい旨甲弁護士に相談した。

相談を受けた甲弁護士は、親族間のデリケートな問題なので、弁護士を入れるより、実弟自らA子さんの夫の兄弟に率直に実情を話し、持分を買い取りたい旨話すことをアドヴァイスした。
しかし、実弟は、自分が交渉すると感情的になってしまう。
相手にも弁護士を入れる旨話してあるので、引き受けてもらいたいということだったので、甲弁護士は引き受けることにした。

甲弁護士は、早速、A子さんの夫の兄弟との間で、自宅マンションの持分の買取交渉を開始した。
案の定、A子さんの夫の兄弟からは、何も弁護士をわざわざ入れなくても、直接、相談してもらえれば相談に乗らないわけではないとの話が出た。
しかし、一方、甲弁護士が提示した買取価格は、相場からかけ離れているとのことで、言下に断わられた。
その後の買取交渉は、双方の希望する買取価格が大きくかけ離れ難航を極めたが、甲弁護士がA子さんの実弟から託されたギリギリの価格を提示したところ、A子さんの夫の兄弟はあっさりとこれを了承した。
A子さんの夫の兄弟が了承した価格は、兄弟が主張する相場に比べると著しく低かったので、何故、了承したのか甲弁護士の心に引っかかっていた。

その後、甲弁護士の事務所で、A子さんの夫の兄弟と売買契約の決済が行われた。
甲弁護士がA子さんの夫の弟に売買代金を支払い、移転登記手続に必要な書類を受け取り、無事決済が終わった。

一息ついたとき、A子さんの夫の弟がこう言った。

「義姉さんの兄弟には亡くなった人がいて、その子供達がたくさんいるらしい。中には行方不明の人もいるそうだけど、義姉さんが死んだら大変だ。遺産分割なんか相続人が多いし、連絡も取れずまとまらないんじゃない。」と。

これを聞いて、A子さんの夫の兄弟が、何故、その主張する相場より低い価格であっさり了承したか、甲弁護士の疑問は解消した。
A子さんの夫の兄弟は、A子さんの病状が悪化していたことから、いち早く、自宅マンションの持分をA子さんの実弟に買い取って貰い、A子さんの相続問題に巻き込まれることを回避したかったのである
甲弁護士はA子さんの夫の兄弟にこう説明した。
「大丈夫です。兄弟姉妹には遺留分がありませんので、遺言書があれば、相続問題が複雑になることは回避できます。」と。A子さんの夫の兄弟は無言だった。

夫の兄弟からの持分移転登記が完了して、1週間後、A子さんは静かに息を引き取った。
まるで解決するのを待っていたかのように。

A子さんが夫と同じ墓に眠ることができたかどうかについては、甲弁護士は今も関係者に確認していない。果たして、A子さんにとって、この解決が良かったかどうか。

                                                                   以上

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